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超短編小説「R-320Aと暮らす家」

超短編小説「R-320Aと暮らす家」

その頃、私は米国製の安物短波ラジオを集めており、CQ社から出版されているVintage Radio Collectionに写真が並んでいる往年の名機たちに、金持ちに懐くような反感を持っていた。
丁度、美術品を扱う骨董店で品定めするだけの金の持ち合わせがないために、街の古道具屋でガラクタを買い集める様なものだろう。
当時はeBayで米国からラジオを買う習慣はなく、Yahooオークションの出品から民生用短波ラジオを探すだけの日々であった。
そのオークションにCOLLINS R-320Aが出品された。千葉県某市までピックアップに行くことが条件となっていたその機械に入札する人は少なく、私はとても廉価にそのR-320Aを落札してしまった。
R-320Aは1954-1984、朝鮮戦争からベトナム戦争まで、米国COLLINS社などの多数の通信機メーカがライセンス生産していた米国軍の標準短波通信機、その贅を尽くした構成は「量産しすぎたロールスロイス」と云われる程である。
私は次の日曜日に我が1000ccの愛車を駆って某市を目指し、不正確なナビのために迷ったあげく、その街の坂道だらけの住宅地区に辿りつくと、オークションの掲示板に示された住所には年代モノの2階建て木造アパートがあり、R-320Aの持ち主はその1階の一番端の部屋と判った。
車上から観察すると、幾つかある他の部屋は立ち退きに応じたのか住人は居ないように見える。R-320Aが売り渡されることになった理由もその辺りにあるかもしれない。
ドアを叩くと、顔を出した痩身の老人。その背後の室内を見て息をのんだ。私はこの歳になるまで、世間で云われるゴミ屋敷を目の当たりにしたことはなく、まさにそのゴミ屋敷を始めてみた。思わずこのまま尻込みして帰宅したい気持ちにかられたが、老人はそんな私のうろたえなど気にせず「上がれ。」と云う。
小さな靴脱ぎから短い廊下を通ってベッドのある居間まで、そればかりでなくキッチンや他の部屋も、長年の生活のなかで出たゴミが十センチは積もっている。老人は「散らかっていて申し訳ない。」と云うが、その口調に申し訳ない感じはない。その堆積したゴミの上を、何か思わぬモノを踏まないように気を付けながら用心して歩き、彼の居間のR-320Aの処まで息を詰めて立ち入った。
そのラジオは、ベッド脇の椅子の上で既に通電されており、3,5MHZのアマチュアバンドの交信が大音響で聴こえている。
「触ってみてください。」との声に仕方なくチューニング・ノブを回すが、慣れないラジオを咄嗟にあちこち触れる訳もない。彼は日頃機械のPower SWをon/offせずに、コンセントのSWを入/切 して、交換が大変なラジオのPower SWの消耗を防いでいたようだ。
私のバンド切り替えノブの取り扱いも、バンド内のチューニング・ノブの操作も、その粗雑さが彼には許せないようで
「もう少し丁寧に回した方が・・」と背後から声が掛かる。
なんとなく、ゴミが堆積した居室にも慣れて、視線をラジオから上げてまた驚いてしまった。周囲の塗り壁とスリガラスの窓で構成される室内の上半分を、狭い間隔でエナメル線が四角く周回しており、四隅の柱には、そのアンテナ線の支持金具が打ちつけられている。
部屋全体が、四角い垂直のループアンテナになっているのだ。流石に出入口の個所だけは少し迂回しているが、他はキチンとした籠型のアンテナに囲まれ、彼はそのなかに暮らしている。その巨大な垂直ループアンテナの終端にどんな容量のバリアブルキャパシタが繋がれていたかまでは確認する余裕はなかった。
なるべく早くこの取引を終えるために、私はひとり満身の力でR-320Aをゴミのなかを引きずり、玄関外の通路まで持ち出した。そんな作業をしながらも、ゴミに紛れて巨大なバラスト管の一部が見えたりしていることには気がついた。
彼にとってR-320Aは最後に持っていた「形あるもの」だったかもしれない。彼は、私が支払った数万円の紙幣にはとても見合わない好意と共に、代替えの真空管とパイロットランプなどの入った小箱、かなり大きな100>115v変換トランス、スピーカ・トランスを手渡してくれた。
私は持ち帰ったR-320Aからゴミ屋敷の記憶を拭うために、直ちにCOLLINS専門のチューニング業者に依頼して調整し、数年経った今でも私の持つ短波通信機のなかでも高性能の部類となっている。
R-320Aを契機に、Hallicrafters SX-28、Hammarlund PRO-310、National HRO-7、RCA AR-88など、次々と名機と呼ばれる通信機を集めるようになり「やっぱり、世に云われる名機は名機」などとうそぶく、生噛りの通信機コレクターになってしまった。
その後、一二度彼から貰ったメールには、押し入れに仕舞い忘れていた古典球やレシーバー(彼はヘッドフォーンをレシーバーと呼んでいた。) を譲ると書いてあったが返事はしていない。あの、ゴミの堆積の下に私の知らぬ、古の火花送信機の残骸などが潜んでいるのかもしれないが、その可能性を求めて某市まで車を馳せる気力はない。
しかし、私がいまでも棚のR-320Aを見るとき、身震いと懐かしさと共に思い出すのは、あの壁を伝うエナメル線の巨大なタンクコイルの様なループアンテナのこと。脳裏に浮かぶのは、その籠アンテナの中空で暮らし、鉄塔の上の多エレメントの八木アンテナよりももっと高性能かもしれない、その巨大ループアンテナによって、夜が明けて来る頃アフリカ辺りから飛来し滞ることのない微弱なモールスを傍受し続ける彼の姿である。
しかし、彼には既にR-320Aは無い。ひとつ残ったレシーバーだけを耳にあてて天空からのモールスを聴く、彼の様子はまんざら想像だけのこととも思えない。

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