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見立幻想論、玩具

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考えてみると、人間は幼い頃から玩具を与えられて、本当は凶悪な熊もぬいぐるみなら「はーい、おなかすきまちたか?」などとまるで全能の母のように慈しむし、車両や航空機の乗り物玩具を手に「ブンブン」と走らせる時の幼児はまるで環境を支配する神のようだ。
別に赤ん坊や幼児が、元々母乳を求めるように生理的に玩具を求めているわけではなく、父母や家族から玩具と共に世間に事物の見立としての玩具で遊ぶ概念を与えられて、この概念を我が子に伝達しているに過ぎない。
この様な玩具生活は、少年・青年期になってもなくなる訳ではなく、執着の対象の何かをミニチュアによって見立て、これに執着を向ける精神生活は無意識のうちに続いていく。
この様な父母をはじめとする環境が古来から持っている概念、お約束にその子孫達は縛られて世代を重ねているように思われる。父母や生い立ちを否定しがちな青少年達も、この様に「環境から受け継がれた概念」がないとすると到底生きられないのではないか。
見立の最たるものは宗教であり、仏教に於ける寺、仏像、解脱者、宗派の祖などに礼拝するのは、その背後にいる神をより具体的な事物や人格に見立てることが、人々に馴染みやすいからであろう。

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